こちらのページでは、会食恐怖症だった私が、実際に会食に行ったときや誘われていた時等に何を思い、考えていたのかを解説していきます。
会食恐怖症の実際の症状についても記事にしていますので、こちらを是非ご覧ください。その後でこちらの記事を読むと、より感覚がわかりやすいかと思います。
会食恐怖症を発症した当初のマインド

私が最初に発症したのは小学生の時です。給食の時、欠席者がいるとおかずとかデザートが残りますよね。それを私が獲得したのですが、お腹がいっぱいで半分ぐらい残してしまったんです。その時の周りの目で私の会食恐怖症はスタートしました。
周りの目が私を見るんです。「他の人も欲しかったのに、もらえた人がなんで残すの?」「残すなら他の人に譲れよ」と。
その時、私は純粋に「恐い」と思いました。そして、「残すことはいけないこと」なんだと再確認したのを今でも覚えています。
そして、その翌日から発症しました。給食の匂いを嗅ぐと吐き気がこみ上げてきて保健室へ。それを大体一週間程繰り返しました。
救いだったのは、それは一週間でなくなったこと。当時の私はこれが何なのかわからず、体調が悪かっただけだ!と考えていました。
ここで伝えたいのは、実際の年齢や時期にもよるかと思いますが、発症した当初は原因やどんな病気なのかわからないということです。
私は当時何度か早退し、病院へ連れて行ってもらって診察したのを覚えています。結果は特に異常なし。精神的な症状に対して体の検査をしたからですね。
診察しても異常なし。しかし続く吐き気。原因が不明なのでとても不安でした。
発症した当初には、この原因不明なことに対しての不安とまた吐き気が来るかもしれないという恐怖が私にはありました。それが一週間で一度なくなったのは、考えても、病院に行ってもわかないので考えることをやめて気のせいだと結論付けたからだと思います。
会食恐怖症を再発、悪化させた一言。思考の変化が始まった

小学生で発症した会食恐怖症。当時はそうだという結論に至っていませんでした。気のせいだと思ったことで、その症状は隠れていました。
しかし、中学の修学旅行のある一言で再発してしまいます。
恐らくこれは、会食恐怖症の人の過半数が思っているでしょう。そう言えるほど、我々にとっては強い縛りなのです。
修学旅行は当然外食になります。当時の担任の先生がすごく恐い人でした。常に怒り口調のようで、できれば会話もしたくない程です。
そんな先生も同行して、クラス全員で食事をしている時。
先生が途中で立ち上がって、大声で言いました。
「いいかお前ら!絶対に残すなよ!!絶対だぞ!!!」
この一言で、隠れていた会食恐怖症が再発しました。
この時のマインドは、「残してはいけない。残すと先生に何言われるかわからない。恐い。絶対に全部食べなくてはいけない。残してはいけない」です。
小学校の頃の経験で残すのはいけないことと認識していましたが、この一言から思考が変化し、「残すのはいけない」が「残してはいけない」になりました。
わかりづらいとは思いますが、”残す”という主導権が消えたんですね。
「食べきれなければ残す」という思考が、「食べるのなら残してはいけない」になり、100%食べきらなくてはいけないと思うようになりました。
残すなよ!このたった一言で私の会食恐怖症は再発し、そして悪化していきました。
誘いを断る。その時会食恐怖症の私は

学生時代や社会人、そのどちらにも親しい人というのはできます。しかし、私は親しい人がいても、少し距離を空けるようにしてきました。学校や職場では親しくても、プライベートでは関わらないようにという距離感です。
なぜか?答えは食事に誘われたくないからです。
ラーメン食べに行こう!とか誘われるのが恐い。遊びに行こう!と言われても十中八九ご飯食べに行くよなと考えて恐い。
それでも、何度も誘ってくれる人もいました。
誘いを断る時、私は「せっかく誘ってくれたのに本当に申し訳ない。行きたい気持ちはあるけど外食ができないんだ。」と思っていました。
せっかく好意で誘ってくれたのに、本当に申し訳ない。外食ができない。申し訳ない。行ったとしても苦しいし、吐いたり具合悪くなったりすると迷惑かけたり嫌われるかもしれないから行きたくない。ごめんなさい。と、心でずっと謝罪しているのです。
そうしていつしか誘われることがなくなりました。相手からはそんなに自分と仲良くしたくないんだと思われてたかもしれません。違うのです。行きたくても行けないんです。
会社でも、歓迎会とか飲み会参加に×をつけても何も言われなくなりました。会話をしていて、はる先輩って飲み会絶対来ないですよねと言われたこともありました。付き合い悪いやつとか社会人としてどうなの?という目で見られていたんだと思います。
このような日々を繰り返していると、「また断った。本当に申し訳ないな。なんで俺は外食できないんだろう。もう一人で生きていきたいな」といったマインドになってきます。
外食に対しても、美味しいものが食べられるというメリットが思考から抜け、ただ苦しいイベントとして上書きされてしまいます。それが第一の思考になるので、外食と聞くと苦しいイベントだと想起して苦しくなります。
気にし始めてからが本当の会食恐怖症の始まり。失敗の経験を重ねていくと、どんどんと「自分は外食すらできない駄目なやつ」だと思えてくるんです。
日常生活で会食恐怖症について思うこと

誘われなければ普段の日常です。食材を買ってきて、家で食べる。なんてことはない生活がそこにあります。
しかし、テレビをつけたり、チラシやSNSを見る時にどうしても飲食店の紹介が目に入ってきます。心に余裕がない時は見ることすらできませんが、それ以外の時はまじまじと見ることがあります。
その時には、「会食恐怖症じゃなかったら食べに行けるのにな・・・」とか「治ったら食べ歩きとかしてみたいな」と思います。
「一生外食なんてできなくていいや!」とは思えないんですよね。
やはり、会食恐怖症を治したい、気にせず誰かと外食したいと少なからず考えています。
会食恐怖症マインドの核

ここまでで、普段どんな思いでいるかを伝えてきました。
次は、より深く踏み込んでいきます。恐いという言葉を使ってきましたが、その原因、”何”が恐いのか。
その点について、まず私が恐れていた正体を書き出してみます。
このマインドは、会食恐怖症のマインドの確信と言っても過言ではないと思います。実際、私はこれらのせいで苦しい思いをしてきました。是非、会食恐怖症で悩んでいるという人は自分と比較してみてください。
①苦しみたくない
気持ち悪くなりたくない。吐きたくない。わざわざ苦しみに行くぐらいなら一人でいたい。嫌な経験をしたくない。苦痛を味わいたくない。
②相手を傷つけたくない
誘いを断るのは相手に対して失礼だしせっかく誘ってくれたのに申し訳ない。それなら、誘われないようにしたい。
③周りに変な人だと思われたくない
普通は外食できるのに、自分はできない。そんな普通とは違う所を見せたくない。劣っている自分を見せたくない
④飲食店に迷惑をかけたくない
吐いてしまったりすると飲食店や周りの人にも迷惑をかける。それは嫌だし、その姿を見られるのも嫌だ。
これらのような意識の壁が、ある一つの核を大事に守っています。
その核に触れていきます。克服を考えている人は是非読んでいただきたいのですが、もしかしたら具合が悪くなるかもしれません。自己判断でご覧ください。
また、これは私の核でしたが、全員に当てはまるかと聞かれたら、大半の人には当てはまると思うが全員には当てはまらないと思う、と答えます。この部分はその人個人の問題になってきますので。それでは、私が会食恐怖症で苦しんでいた原因、その核を紹介します。

その核とは・・・
自分が傷つきたくない
この一点。全てはこの一点に収束します。
苦しみたくないのは自分が傷つくから。
周りに変に思われたくないのも自尊心が傷つくから。自分だけが違うということで疎外感や劣等感を感じて傷つきたくないから。
飲食店に迷惑かけたくないのも同様。
そして、相手を傷つけたくない、迷惑をかけたくないのも、相手に嫌われたくないから。相手から嫌われることで自分が傷つきたくないから。または、相手を傷つけてしまったという実績を作ってしまうことで傷つきたくないから。
自分の中の自分は、自分が傷つくことから守ろうとします。そして、外食や他人と一緒に食べるという行為に対して、自分が傷ついたり、またその可能性があるとわかっています。だから、会食恐怖症として表に出して、現場から逃げるように促しているのです。自分が傷つかないように。それが核という所。意識とは関係なしに、制御できない”自分”なのです。
私の核はこれでした。
人それぞれ持っているものは違うと思います。
会食恐怖症といっても人それぞれの特徴があるので、少しでもこの記事が参考になれば幸いです。
マインド編は以上になります。
これからも会食恐怖症についての記事の投稿を考えています。
また、実際に会食恐怖症を克服した具体的な経験、対策を配信するメルマガを作ってみようかと思います。
その際は必ず紹介しますので、ご期待ください。正直そこらの心療内科とかより力になれる気がします。
それでは。ご覧いただきありがとうございました!